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静岡シンポジウムレポート 6 「ストラスブールはなぜ都心への車走行規制に成功したか?」

16 09 2012 | Actualités ブログ記事, Concertation 合意形成, Conférences 講演, Shizuoka 静岡市, Symposium シンポジウム・パネラー発言要綱, Tramway-路面電車, Urban Planning まちづくり

  • 静岡市パネルディスカッションの最後のテーマです。

4都心へのLRT導入について(車走行規制の在り方)

ストラスブールが都心部での自動車走行規制を行ったのは、1992年の2月です。フランスで先陣をきっての試みで、フランス中の新聞が書き立てました。しかも、このときの市長さんは、フランスで人口10万以上の自治体で始めて市長に選ばれた女性で、「どうせ女だからできないだろう」とまで言われた時代でした。 (そして2年後の1994年、フランスでも始めての全車両100%超低床車両のLRT路線9.4Kmがストラスブールで開通しました)

実は、ストラスブールでは1980年代から都心に歩行者天国を設けて、自転車専用道路を設置するなど当時としては非常に先進的な都市交通政策を取ってきていたのですが、それでも歴代のどの市長もさすがに、都心への車流入規制はできませんでした。それはなぜでしょうか?余りにも人気がない政策だったからです。

ではなぜ、それを女市長がやりとげたのでしょう? 答えは拍子抜けるほど簡単です。

都心へのトラム敷設工事をするためには、車を締め出す必要があったからです。マニフェストでの公約でもあったトラム敷設は合意形成、議会での承認を得て決定されているので、トラム導入に対する公益宣言が出たその時点で、トラム導入工事の実現に市民はもう反対はできません。ですから、トラム工事のための車規制を、市民は承諾せざるを得なかったわけです。 合意形成には十分な時間とプロセスをかけていることが、車を規制する全体的な政策を、市民が認めてきたことにつながったわけです。 『車の都心への侵入規制』はまさに、「政策的な決定=都心にLRTを導入する」に基づく、「技術的な解決方法=工事のためにまず車走行の規制」の一つでもあったわけです。もちろん、LRT導入後も、ストラスブール市はパッケージ・アプローチ政策(複数の交通手段を総体的にとらえ、整合性を持たせた交通プラン)をLRTを中心に進めてゆくが、それはまた今後詳しく説明したい。

この点については、久保田教授がすでに『卵か鶏』か発言で、言及されました。つまり、「LRTは導入に課題が多いからこそ良い。課題を解決してゆく過程で、様々なまちづくりの工夫を迫られる。有る意味で、LRTを入れてしまう、と決めた時点で、いろいろなことが進んでゆく」、という教授自身が『思い切った発言』と形容される内容を述べられました。

そして都心での通り抜けが出来なくなると、本当に住民は車を使わなくなります。自転車、トラムの方が便利になると、人々は交通における行動様式を変えてきました。フランスでは今40代以下の市民は、すでに高校生の時代からトラムに乗っていました。彼らは、「トラム時代の市民」といわれ、彼らは収入を得ますと当然車は購入しますが、都心への移動には車を使わずに、トラムを利用することが当たり前になってきています。

都心のクレベール広場への車侵入禁止パネルの設置 1992年2月24日

フランス中が報道したストラスブール市都心への車侵入規制。今から20年前。画期的な政策だった。

(写真CUS提供 ”La nouvelle liberté de mouvement”より)

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